[東京ステイ日記] ホームシック
ずっと、スカイツリーはきらいだった。初めて見たとき、バベルの塔みたいだと思った。傲慢だ、禍々しい、とさんざん毒を吐いた。
なのに今日、両国から乗った総武線がスカイツリーのそばを通ったとき、駅でばったり友だちと会ったように懐かしい気持ちになった。毎朝毎晩、わたしの部屋のバルコニーからはスカイツリーが見える。引越した頃は気にも留めていなかったが、こうして毎日眺めながら暮らしてみると、風景も友になるのだ。だからって、好きになったわけではないけど。
「東京でつくる」前に
東京で暮らし始めて約五ヶ月が経った。半年は経ったような気がしていたから、思ったより短い。
そのあいだ、東京で2019年秋に上演するプロジェクトのため地域のお祭りに参加したり、アジアの作家たちが「いま東京でつくりたいもの」を考えるアーティストキャンプをプログラムしたり、アートプロジェクトの学校で「東京でつくる」ことへの戸惑いをテーマにしたスタジオを持たせてもらったり……と、「東京」について考える機会に多く恵まれた。まるで誰かが(誰が?)集中講義を組んでくれたようだった。
それらを経て、いま認めざるを得ないのは、わたしが東京で暮らすことを好きになってきている、ということだ。その単純さに、自分でも呆れている。けれど過去に何度か東京で暮らしたときは、どうしても好きになれなかったから、今回は何かが違うのだろう。何が違うのか、それがまだわからない。
まちとの相性がいいのかもしれない。引越しを繰り返す中で、自分に合った部屋を選ぶ経験値が上がったのかもしれない。いろいろなことはあるものの、ここで暮らした半年足らずが近年まれに見る心安らぐ日々だったからかもしれない。
東京と暮らす
改めて振り返ると、いまの家に引越してきてからわたしは「どこか別のところへ行かなければ」という焦燥感から初めて解放されていたような気がする。
特にこの7年間ほどは、旅が多かった。家はあったが「帰る」という感覚が希薄だった。出かけた先に自分の大切なもの(つくりたいものや、一緒につくる人々や、つくる環境)があったから、家にいると、どこかに忘れ物をしてきたような気持ちで落ち着かなかった。
いまはここに、つくりたいもの、一緒につくる人々、つくる環境があり、自分の暮らしがある。というか「そうしよう」と覚悟を決めてここにやってきた。自分で選んだわけではないが、わたしの人生に偶然やってきた「東京との出会い直し」をとことん引き受けようと腹をくくった。たぶん、それが一番大きな違いだ。
そして、墓なき子
先日、珍しく父から電話を受けた。何事かと思ったら、自分たち夫婦(わたしの両親)のために永代供養の墓を購入したこと、それに伴い近い将来に本家の墓じまいをし本籍もこちらに移すつもりであること、の報告を受けた。父がわざわざ電話を寄越したのは、三姉妹の中で唯一嫁いでいないわたしの本籍も自動的に変わるがよいか、と確認するためだった。
本籍も親の墓も、生まれたわけでも住んだことがあるわけでもない土地にあるよりは、ルーツはなくとも長く住んだまちにあるほうがいい。だがちょっと困ったのは、わたしの前に突然「自分の墓がない」という現実的すぎる問題がもたらされたことだった。
長いこと自分のふるさとと呼べる場所がなくて、ようやく慣れた土地と本籍が一致したと思ったら、死んだ後に帰る場所がなくなってしまった。「(移動しすぎていて)帰る家がどこかわからない」とか「どこが自分のホームか言えない」という「家なき子」は経験があったが、「墓なき子」になるとは思わなかった。もちろん、その可能性があることはわかっていた。でもまだ先のことだと思って、ほっぽらかしていたのだ。
いや魂はきっと別の場所に還るのだ。だから墓にこだわるなんてと以前は思っていたが、いざとなると思った以上に動揺するものだ。両親に「お前はお墓どうする」と訊かれたが、どうもこうもなにひとつ思い浮かばなかった。死んだ後もここに居たい、と思える場所が、わたしにはまだない。
[東京ステイ日記]の第一回に、都内の墓地の写真と一緒に「死んだらここに骨を埋めに帰ってきたい、なんて思ってないでしょ? 」と書いた。さすがに「東京に骨を埋めよう」とはまだ思えないが、なんだか笑えなくなってきた。
未来のことはまだわからない。明日死ぬかもしれないのにそう考えてしまう呑気さも、そうでもしなければ一日一日を生きることにへこたれてしまいそうな自分の弱さも、今回の一件で思い知った。
だがそうして東京に帰ってきて、バルコニーから霞んだスカイツリーを眺めて暮らしているうちに、今度はだんだんと楽しくなってきた。死んだらどこに骨を埋めようか。最後の時どこで、どんな人たちと生きていようか。自分で決めればいいんだと思うと(思ったとおりになるかどうかは別として)妙に自由な気持ちになってきた。
いつかここを去ったあと、TVでもポスターでもあるいは車窓からでも、ふいにスカイツリーのある風景に出くわしたら、わたしはきっとここで暮らした日々を思い出すだろう。
スーパーの袋をさげて月を眺めながら登った坂道や、朝の冷たい空気のなか急ぎ足で歩いたバス停までの道。バルコニーから眺めたビルと緑と首都高。白い光を柔らかく受け止めるグレーのカーペット。キッチンから流れてくるコーヒーの香り。その頃にはきっと思い出せなくなっている痛みや喜びも、その瞬間だけは、胸をつくようにありありと甦るだろう。
そのときスカイツリーは、私の短い東京ぐらしのお墓になるのかもしれない。まだ終わってないけど。
自分がお墓をもつなら、なんかそういうほうがいいなあ。といまのところ思っている。
いまのわたしには、スカイツリーが頼もしく思える。家よりイエより、いま目の前にある風景と関係を結ぶ。好きなら好きなりに、きらいならきらいなりに。わたしが「場所と物語」という活動をしているのは、「どこで生きてどこで死ぬことになっても面白がれる」すべを、誰よりもわたし自身が必要としているからなのだろう。そしてそれが、似たような生きかたを(選ぶと選ばざるとにかかわらず)している人たちに届くといいな、と思っている。
written by 石神夏希
2019年3月1日追記
この記事のタイトルがなぜ「ホームシック」なのか(家がない、という話なのになぜ“ホームシック”なのか)の補足です。
A song for
Someone who needs somewhere
To long for
Homesick
Cause I no longer know
Where home is
“Homesick” by Kings of Convenience
この歌詞が端的でわかりやすいので、引用してみました。
私は(も)「家がどこかわからない人が、どこかにあるかもしれない(ないかもしれない)“家”というものを恋しがる気持ち」もホームシックと呼んでいいのではないか、本質的には物理的な家の有無は関係ないのではないかと思います。
そうした「寂しさ」が、地縁血縁といった関係性が生まれづらい都市(たとえば東京)と人との切実な関係を支えている面はあるはずで、その「寂しさ」をネガティブなものとしてでなく、東京というまちの(あえてこの言葉でいいますが)「文化的価値」「文化的資産」として積極的に捉えていくことが、このまちを優しくするのではないかと思っているのです。
イベントのお知らせ
東京ステイ総集編 「東京、日常の巡礼」
“東京で生きる人々が、東京の日常と、旅人のように出会い直す”
そんなコンセプトで活動してきたプロジェクト「東京ステイ」。2019年2月23日(土)に3年間の総集編として、丸一日かけて都内を移動しながら語り合う「東京、日常の巡礼」を開催します。
・日常とは少し異なる視点や身体性でまちを体験するプログラム「ピルグリム」
・まちと出会い直すための10のステップをまとめた冊子『日常の巡礼』
・さまざまな物語を想起させる場を訪れ、その場でNPOメンバーが語り合うトークシリーズ「ダイアログ・オンサイト」
といった、これまでの実験や実践を一日にぎゅっと凝縮しました。
◆日時:2019年2月23日(土)6:30-20:30(21:00~23:00 懇親会)
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