場所と物語

[東京ステイ日記] ベランダで根づいた山吹

東京で暮らし始めて2ヶ月が経った。

忙しい忙しい、と言い訳しながら、未だ本の詰まったダンボールに囲まれて眠っている。朝起きて雨が降っていなければ、窓を開ける。いつも水彩絵の具を薄めたような空と、やわらかく霞んだスカイツリーが見える。エアコンが苦手なので、やかんを火にかけ、前の家から持ってきたガスファンヒーターをつける。急に朝夕が冷え込むようになって、あわてて古びたガス栓を交換してもらった。

いま住んでいるのは、前回の東京オリンピックの少し前、1961年にできた当時の集合住宅の”はしり”みたいなレトロマンションだ。かつては共同の食堂や浴場があり、メイドサービスもあったらしい。

今でも地下の大きな洗濯室は健在で、一部リフォーム済みの部屋を除いて各戸室内に洗濯機を置けないつくりになっている。私はここに越してきて、初めて二槽式洗濯機を使った(全自動洗濯機もある)。新築当初や分譲が始まった何十年も前から住んでいる人もいて、洗濯室やエレベーターでときどき言葉を交わす。

11月、東京国際芸術祭の一環として行われるAPAF(アジア舞台芸術人材育成部門)で、日本とアジアの若手作家を対象としたアーティストキャンプにファシリテーターとして携わった。

成果発表が「これから東京で作品をつくるとしたら」というお題だったので、フィールドリサーチとして、水辺から都市の裏側を見る日本橋川・神田川・墨田川のクルーズ(ナビゲーター:山崎博史さん/建築家、水辺荘代表)と、東京の焼け跡の記憶をめぐって赤坂に建つ小さな古民家と復興記念館を訪ねる旅(ナビゲーター:深澤晃平さん/編集者、Tokyo Little House代表)を企画した。

山崎さんのクルーズは一部界隈では有名で、私も7年ほど前に乗船したことがある。2020年に向けて集中的な変化の中にある東京で、アーティストたちに前回オリンピックで建設された首都高の姿を見てほしいと思った。

江戸時代のお堀を壊してもう一度石を積み直した護岸や、関東大震災の復興で再建された橋の時代背景を反映した工法、80年台に建った湾岸エリアの高層マンションのはしりなど、東京が生きてきた場面がフラッシュバックのように次々と現れては過ぎ去っていく。追いやられたスモーカーたちが川沿いに集まっていること、オリンピックに向け補修工事中の橋が多かったことも印象的だった。

深澤さんは終戦直後に祖父母が建て、赤坂の繁華街のど真ん中に今も残る古民家のオーナーだ。以前は事務所として使っていたが、ゲストハウス&ギャラリーに改修し今年「Tokyo Little House」という名前でオープンした。

深澤さんは、『アースダイバー』(中沢新一著/講談社, 2005)はじめ多くの地図デザインにも関わってきて、都市の見えない時間の地層を見ることができる人。ギャラリーで焼け野原だった当時の東京を写真や地図で振り返った後、両国の復興記念館東京都慰霊堂に連れて行ってもらった。

記念館が建つ土地は関東大震災当時、軍服工場の跡地で、4万人ほどが避難していた。そこに火の竜巻が起こり、ほぼ全員が焼死。遺骨を納めるために慰霊堂が建てられた(*)。その後、東京大空襲で再び10万人ともいわれる人が亡くなったが、敗戦後のさまざまな事情もあってか身元のわからないお骨を納める場所をつくることができず、震災の慰霊堂に引き取られる形で合葬されているという。

今回のリサーチ企画は、東京を見る視点はさまざまにある中で、いま失われつつある風景の成立経緯を知る、という趣旨だった。限られた時間に同じものを見たにもかかわらず、アーティストたちはそれぞれに自分の「偏り」を発揮して、まったく異なるリアクションを見せてくれ、おもしろかった。そしてすでに訪れたことのある自分が、そこにある風景をろくに、全然、ちゃんと見ていなかったことに気づいた。今回、多少なりとも「見る」ことができたのは、自分が人生で初めて東京に関心を持っているからだと思う。

今ある風景を残したい、と無邪気にいうつもりはないし、またいえるような関わりも東京に対して、してこなかった。東京の風景はこれまでだって何度も激しく壊れ、建て直され、修繕を繰り返してきた。いま起こっている、思考回路がショートしたような大規模再開発だって、ある意味で東京らしいといえるのかもしれない。

だけど「東京」という言葉を使って誰かと話すときに、言葉のもつイメージがどんどんしぼんでいっているような気がしている。東京が経済的に貧しくなる、という話とは別の意味で、言葉が痩せていっているような。私の杞憂だったら、いいんだけど。

最近、鎌倉の庭から伐ってきた山吹の枝が、ベランダの植木鉢に根づいた。いつか庭で満開だった時、父とのことを思い出させてくれた花だった。引越しの朝、運送屋さんのトラックがすべての荷物を積んで出発した後、新聞紙にくるんで当面の荷物と一緒に電車でやって来た。

20本ほど挿し木して、残ったのは5本くらい。この冬を一緒に越えて、春に花が咲くのを見たい。私の住んでる「東京」は思ったより陽当りがいいから、きっと大丈夫だろう。

都市のイメージは切り取ったり、持ち運んだり、運んだ先で根づかせたりすることもできるのだろうか。山吹はとても強い木らしい。いつか大きく育ったら、このあたりの地面にこっそり植え替えようかと考えている。そして私が去ったあとも、死んだあとも、花を咲かせてくれたらいいなと思う。

written by 石神夏希

 

*東京都慰霊堂のウェブサイトによれば、関東大震災による遭難者(約58,000人)の御遺骨、東京大空襲などによる犠牲者(約105,000人)の御遺骨を併せて約163,000体の御遺骨が安置されているそうです。