場所と物語

[東京ステイ日記] 東京といつまで他人でいられるのか問題

東京で暮らすことを考えている。ほんの数ヶ月前までは関西に引越す準備をしていたのだけど、いろいろあって関東に留まることになった。なった、といってもまだ引越しが決まっていないから、今のところ仮の話だ。

神奈川で育ったので、東京にある学校や職場に1〜2時間かけて通うのはあたりまえで、わざわざ東京に住む必要を感じたことはなかった。二度ほど住んでみたことはあるが、最後には耐えられなくなって逃げ出すように都外に引越した(何が耐えられなかったのかは、もう少し検証が必要)。

東京に連敗続きの自分にとって、この選択が果たして正しいのかどうか。迷いつつ、もし自分の人生で東京に住むことがあるとしたら、今このタイミングで見届けるべきなんじゃないか、とも思う。その先の景色を見る覚悟があるのか、また逃げ出す先を用意することになるんじゃないか、という漠然とした不安もあるのだけれど。

 

東京生まれと書けない問題

私は東京で生まれた。3歳で物心つく前に神奈川に引越したから、東京で暮らしていた頃の記憶はあまりない。妹とふたりきりで留守番をしていた居間の薄暗さ。姉の勉強机から落ちて角で恥骨をしたたか打った痛み。一番鮮明なのは、引越しの日の記憶だ。ピアノを運び出す運送屋さんを部屋の窓から見下ろしていたこと。走り去る車の後ろの窓から振り返ると、社宅の友だちが見送っていたこと。その次はもう、神奈川の新居で「幼稚園に入園する」と親に告げられた記憶になっている。

仕事柄、たまにプロフィールを出す必要に迫られる。特に関東以外の別の地域や海外で、その土地や都市に関わるプロジェクトをやるときには「○○生まれ」「○○出身」などと出身地を書いたほうがいいのだろうな、と感じる場合もある。

そんなとき、「東京生まれ」と書くことがいつもできない。東京で生まれた、という事実があっても、東京で生まれた、というアイデンティティがない。一昨年、生まれたまちと産院を訪れてみたが、なんの懐かしさも感じなかった。私の生まれた東京は、知らないまちだった。

 

千葉や神奈川は東京じゃない問題

先日、海外で、東京生まれ育ちの日本人の方と話しているとき、出身地を聞かれた。ここまで書いたようなことを伝えると、「じゃあ(海外で出身を訊かれた場合に)東京と言えますね」と返ってきて、びっくりした。

私は東京にアイデンティティがないのに「東京出身」とか「東京生まれ」と書くことに抵抗があるから、書いていない。だがその人の言い方には「東京出身と答えられること」が良いこと、一種のステータス、というニュアンスがあった。東京ディズニーランドや成田空港みたいに、東京の文化圏に入っていれば、東京を名乗っても構わない、という傲慢な許可。

そんなふうに思っている人は、いまは多くはないだろう。でも、かつては珍しくない価値観だったのかもしれないな、とも思う。

 

失われた三十年が失われたらどうなるのか問題

「失われた20年」とも「失われた30年」とも呼ばれる時代とともに育った。小学生の時には昭和の終わり、成人とともに世紀末を、そしてもうじき平成の終わりを見届ける。私の見てきた日本の社会はそれ以前の価値観が機能不全に陥った、その機能不全自体が個性のような時代だった。でも、それもまた同じ価値観のanother sideにすぎない。「○○でない」という否定形は「○○」を強化する存在に留まる。たぶん前述の「東京出身と言えますね」発言は、その「○○」の妖怪みたいなものだ。

つまり、失うってなんだ、ということ。6月が終わって7月がやってくる。それは6月が失われているのか、それとも7月なのか?

その「○○」を正確な言葉で突き刺すことにはもう興味が無いので、ここでは投げやりに「○○」のままにしておく。そして「○○」の否定形として延命してきた東京は、あと数年のあいだにひとつのピークを迎えるのかもしれない。

そのあと、東京というまちにハッピーな展開が起きるとしたら、それは「○○」または「非○○」―私の生まれ育った時代の価値観から、三次元マトリックスで斜め右奥(左手前でもいいけど)に向かって脱却するような“ワープ”を必要とするだろう。私の知っている「東京」とは全然違うまちに変容していくことが、前提条件のような気がしている。

 

東京を「  」のまま保留する

「○○」を脱却した東京―それを「  」と、これまた空白のまま留保してみる。けれどこっちは投げやりではなくて、何かそこに夜明け前の、まだ色も差さないまっさらな光のような余白を残しておきたい気がする。希望というにはまだ早い。だけど希望を注ぎ入れる余地はある、透明なコップをひとつ、テーブルの上にそっと置くような心持ちで。

朝ぼらけ 有明の月とみるまでに
吉野の里に ふれる白雪

という百人一首の歌が好きなのだけど、そんなふうに新しい一日が始まることを、まだ願ってしまう。それが、東京で生まれて「東京生まれ」と名乗りたくない自分が、今また東京に住んでみようかと思っている一番の理由かもしれない。

 

東京といつまで他人でいるつもりなのか

「東京ステイ」を始めてからずっと、自分にとっていつまで経っても「東京」という場所が他人事であることに、後ろめたさを感じてきた。一方でそれは、ことさら世間に向かって表明することでもないと思っていた。

だって誰も、東京のことなんて真剣に考えてないでしょ? 東京と自分とは切っても切り離せないなんて感じてないでしょ? 理由なく、不条理な愛憎に突き動かされて勝ち目のない賭けに出たりはしないでしょ? 死んだらここに骨を埋めに帰ってきたい、なんて思ってないでしょ? いつだって、逃げ出す心づもりは出来てるんでしょ?

そんなふうに思っているのは、他でもない私だ。だけどもし、これから1〜2年あるいは数年間、東京に腰を据えて留まるとしたら、こんな態度では自分が耐えられそうにない。

私にとってそこにいる必然性のある、東京あるいは「  」をさがす。他人でない関係が、家族なのか、友だちなのか、恋人なのか愛人なのか、ペットなのか、それはわからない。わからないけれども、なんらか肉体的な関係をもつ必要があるのではないか、という気がしている。つまり「心はいつも一緒にいるよ」ではなくて、フィジカルに東京とともにいること。

試しに東京ステイは「  ステイ」と名乗ってみてもいいかもしれない。東京、という名前に疲れてしまったように見えるこの都市を、その重さから少し解放してあげたい気がする。

たとえば異国でその名前を告げても、ほとんど知られていないまち。誰も行ったことも、聞いたこともないまち。そんな東京を想像してみると、もちろん寂しさも感じるけれど、ほんの少し軽やかな、愉快な気持ちにもなる。

―どこから来たんですか?
―とうきょうです。
―Tokyo? 初めて聞きました。それは何処にある、どんなまちなんですか?

そのとき、私は、なんと答えるのだろう。
東京が忘れ去られたとき、私の生まれた「とうきょう」は、一体どんなまちになっているのだろう。

written by 石神夏希