場所と物語

青物横丁で青に会う/石神夏希

ピルグリムの道連れにまよこさんを誘おうと思ったのは、直感だった。でも、思いついた瞬間、彼女しかいないと思った。

まよこさんには、2017年秋に舞鶴でやった『青に会う 2017.10-11』という演劇のプロジェクトの会場で出会った。出演していた写真家の鈴木竜一朗くんのお友だちで、上演を見に来てくれたのだ。わざわざ、舞鶴まで。

舞鶴は戦時中に軍港として発展したことや、満州やシベリア抑留からの引き揚げ者の多くを受け入れたことで知られるまちだ。京都府の北で、日本海に面した美しいリアス式の海岸線を持つ。私にとっては、このプロジェクトの依頼があるまでほとんど馴染みのないまち。初めて「舞鶴」と聞いた時は、「どこだっけ……?」と思ってしまった。

とにかくそんな、これまで自分には縁もゆかりもない土地を2017年7月末に初めて訪れ、9月から11月にかけて滞在した。古い民家に居候しながらリサーチをして、短い期間でまちを舞台にした演劇作品のプロトタイプをつくった。

 

その人が毎日眺めている風景を見たい

ある日、舞鶴のカトリック教会で、大学時代を鎌倉(私が育ち、今も暮らすまち)で過ごしたという60代の女性に出会った。彼女は初めて見た遠浅の海を見て、その色にびっくりしたという。

私も日本海を見た時、やっぱり海の色にはっとした。同じ「海の青」といってもイメージする色は生まれ育った場所でずいぶん違う。そんな、出会ってしまった人の中にある「青」――いわば心象風景――を知るには、その土地に足を運び、その景色を実際に並んで見るしかない。そんな意味を『青に会う』というタイトルに込めた。私はロマンチストだと思う。

でも実際に私は「この人のことを知りたい」と思う人と(物理的に具体的に)向き合うとき、よく、その人はどんな風景を眺めて育ったのかなとよく想像する。毎日どんな風景がその人の目に映っているのか、知りたいと思う。

 

返事の書けなかったメッセージ

前段が長くなってしまったけど、そんな舞鶴で出会ったまよこさんと初めて出会った時、彼女は、私の家のすぐそばに住んでいるといった。具体的には、私は鎌倉で、彼女は隣町の逗子。そんなご近所さんなのに舞鶴で出会うなんて奇遇ですね、今度ごはんを食べましょう、なんて話して別れた。

そして2017年の年末に、突然、まよこさんからメッセージをもらった。そこには彼女が、私が舞鶴で書いていた日記への感想が熱く綴られていた。それを読んで、私はすぐに返事が書けなかった。社交辞令では返せなかったから。それだけ、嬉しかったから。

そして随分時間が経ってから、あのときの返事を書くように、まよこさんをピルグリムに誘ったのだった。

 

チェーホフとみうらじゅん

2018年2月3日午前11時。まよこさんとは新逗子駅の駅ビルにあるドトールで待ち合せた。顔を合わせるなり、話が弾みすぎて、結局一時間くらい喫茶店を出られなかった。ピルグリムでは最初に、それぞれが持参した本にレターセットを挟んで交換する。私はチェーホフの『桜の園/三人姉妹』新潮文庫版を持っていった。まよこさんから渡されたのは、みうらじゅんの『「ない仕事」の作り方』。

本にはたくさん傍線が引かれドッグイヤーだらけで、ちょっと笑ってしまった。でもとてもいい本だった。とにかく、みうらじゅんが何かの欠点や弱点に出会ったとき、すかさず「そこがいいんじゃない!」と言うところに深く感動した。私もこれからそうしよう、と誓った。

 

なかなか逗子を出られない

ドトールを出る頃にはすでに昼食の時間になっていたので、まよこさんが知っているレストランに行った。ここでも話が盛り上がりすぎ、全然、逗子を出られない。一応、NPOの理事長として「東京ステイ」のプログラムなのにこれでいいんだろうかという思いが頭をよぎったが、なんか私もまよこさんもお互いを知ることに真剣で、他のことを考えたり考慮したりする余裕がないのだった。

ハンバーグを食べてようやく駅へ向かった。この日は節分で、駅前の神社に寄ったら、可愛らしいお母さんたちが豆まきの豆を売っていた。福豆三人娘。

 

京急線で北上する

行き先も決めずに京急線(新逗子駅は始点だ)に乗り込んで、車内の路線図を見ながら下りる駅を相談した。京急線の駅は個性的な名前が多い。「安針塚(あんじんづか)」とか「雑色(ぞうしき)」とか「YRP野比(わいあーるぴーのび?)」とか。まよこさんが「青物横丁に行ってみよう」といって、私も賛成した。特に理由もイメージもなかったが、最近、知り合いが青物横丁でバルをやっていたという話を聞いていて、商店街とか人通りがありそうだなあというイメージがあった。

車内でもずっとおしゃべりしていて、おかげで乗り換えを間違えたりしながら、なんとか東京都に入った。ピルグリムでは、歩いている途中にいくつか「指令」が飛んでくる。このとき、目に入る物をスケッチせよという指令があったのだけど、私は結局、まよこさんの耳を描いた。なんかもう他のものが全然目に入ってこなかった。

 

 鶴見―川崎―蒲田

途中、京急川崎駅で乗り換えた。夏まで鶴見に住んでいたし、2年ほど前までは大田区の、多摩川のすぐ目の前に住んでいて、多摩川線沿線(終点は蒲田駅)だったこともあり、映画を見によく川崎にも来た。

当時はフリーランスだったので昼間から自宅で仕事をしていると、ベランダから河川敷を散歩する高齢のご夫婦や、ベビーカーを押すママたちの姿が眺められた。そんな平和そのものの風景が、自分には全然、実感が持てなかった。書割の絵を見ているみたいで、ひどく息苦しかった。この先の未来に待っている「幸せな日常」というものがこれなら、自分にはむりかもしれないと思った。その頃「家庭」と呼ばれるものを持とうとして、でも先へ進めず引き返したのには、そんな理由もあったかもしれない。

そうして逃げ出した先は鶴見川のすぐそば、庶民的な住宅街と日雇いの人(多くは高齢者)や外国人が多く住む古いアパートが混在するエリア。夜中におじさんが道端の暗がりでお酒を飲んでいたり、最寄りの大手スーパーは全国でも最低ランクの価格帯(低所得層向け)だったり、朝、川沿いに散歩に出かけたら川岸にブルーシートがかけられていて警察がウロウロしていたり、ちょっと殺伐としたところがある土地柄だった。

でも当時の自分には、そのザラザラした感じが妙にしっくり来て、ホッとしたのだった。別に何でもいいんだ、誰かが用意した幸せの型にはまらなくていいんだ、自由に生きればいいんだと、確かめていないと怖かった(ちなみにこの感覚を言葉にできたのはつい最近で、友人である中田一会さんのウェブサイト『家を継ぎ接ぐ』のおかげだ)。長く住むとは思わなかったし実際に二年で引越したけれど、当時の自分の「逃げ場所」になってくれた鶴見には感謝している。

そんな思い出を、まよこさんに話すことはなかった。

 

青物横丁で、青に会う

青物横丁の駅で降りたときにはすでに夕暮れが迫っていた。まよこさんがインターネットでいい感じの喫茶店を探してくれて、そこで手紙を書くことに決めた。喫茶店は駅前すぐにあった。席について、誰に手紙を書くか考える段になって初めて、ここが「青」物横丁であることに気づいた。

『青に会う』で出会ったまよこさんと、青物横丁で「ここに一緒に来たかった誰か」に向かって手紙を書く。心は舞鶴に戻ってしまい、主人公の《青》を演じた酒井幸菜さんに向けて、手紙を書いた。なんだかこの日のピルグリムも含めて演劇のつづきみたいだ、と思った。

この日、最後の指令が「心にぐっときたインスタントラーメンを買ってくる」だったので、ふたりで青物横丁の駅裏にあるOKストアに寄り、食べたことのないラーメンを買った。

ちなみにこの日のピルグリムでは、(以前、岡本くんから教わった)最後に集合した渋谷で、全員が持ち寄った(味もメーカーもバラバラの)インスタントラーメンをひとつの鍋にぶちこんで一緒に煮込んで食べる、という儀式を行った。

ふしぎなのは、二十種類近くの種類の違うラーメンが混ざっているのに、しかもカレー味とか緑色のやつとか個性的な味も混じっているのに、どういうわけか美味しくなるのだった。それは「多様性」というものについて、何かを物語っているのではないか。知らんけど。

 

ラクダのこぶ

ピルグリムは終わったがまよこさんとのおしゃべりが止まらなくて、結局、渋谷から鎌倉まで一緒に電車で帰り、バーで終電まで喋った。車内でまよこさんが、「この前サファリパーク(?)でラクダを見たんだけど、私はずっとラクダのコブって眉間にあると思っていたからびっくりした」という話をしてくれた。びっくりした。しかも、まよこさんが「まさかラクダのこぶが背中にこんなふうにー」と指でなぞる形が、山型(△)じゃなくて、オメガ型(Ω)だったから、二度びっくりした。

 

ピルグリムは内面の旅

この日は正直、ほとんどまちを歩かなかった。まよこさんが常に本気で、こちらの胸のど真ん中に向かってド直球を投げてくるから、それを受け止めたり打ち返したりするのに必死で、まちどころじゃなかった。そして私もそういうタイプの人間なので、ふたり揃うともうそれだけで視野がいっぱいになってしまうのだった。

そういう意味で私たちは、東京のまちをさすらうというよりは、東京を歩きながら「自分たちの内面の旅」をしたのかもしれない。普段、自分ひとりでは、痛くて触れないようなところに触れること。目を背けたくなることを見つめること。まよこさんは直截で正直で、だけど包み込む優しさも持った人だったから、逃げられなかった。

というかピルグリムをしていると、逃げられない。自分の心に繰り返し浮かぶ想念から。忘れられない面影から。それは誰か道連れがフィジカルに隣にいてくれることで初めて、何とかかんとか歩き切ることができる、濃密な旅なのだと思う。まさに巡礼なのだ。

これはフィリピン。マニラで一番好きなマリア様