場所と物語

石神井/石神夏希

2017年12月23日。この日は、これまで各自ひとりでやってきた「ピルグリム」の「道連れ」という二人組バージョンを初めて実験した。私は、職場の同僚である岡本くんを誘った。岡本くんは、年齢は私より一回りくらい年下だけど、社歴は彼のほうが長い。

なぜ岡本くんを誘ったかというと

◎へんなこと言っても大丈夫そうなふところの深さ

◎仕事でもプライベートでも接点が少ない(もともとの関係性や、その後の影響があまり無い)

◎人見知りが激しい自分にとって、喋ってて楽な相手

この「道連れの選び方」は結構、大事なポイントのようだ。他のメンバーも皆、苦労していた。そもそもこんな変な取り組みの趣旨を説明して理解してくれて、面白がってくれる人。
さらに、お互いに6時間以上ふたりで過ごすので、誘うのはなかなか勇気がいる。みんながどうやって選んで誘っているのか、少し知見がたまったら共有したい。

 

石神井の石神

どこに行くか、直前までなかなか決まらなかった。ピルグリムでは「ふたりともよく知らないところ」を推奨しているので、東京の地図を見ながら相談して、石神井公園に行くことになった。私は生まれてから3歳まで江古田に住んでいた。物心ついてから行くことはほとんどなかったが、どこかいつも練馬のことが気になっていた。

そしてたまに自分の苗字の表記を聞かれて答えると「ああ、石神井のしゃくじ、ですね」とかいわれるので(読みがぜんぜん違うけど)まあ、いつか行っとかないとなあ、とは思っていた。ないと、ってこともないのだが。

当日は、西武池袋線・上井草の駅で待ち合せた。ここはまだ杉並区。公園の最寄り駅ではなく、少し遠回りして歩いていくほうがピルグリムとしてはいいだろう。行ってみたいサンドイッチ屋さんがあったのだが、人気のため商品売切れですでに閉店していた。

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駅のそばのやたら繁盛していそうな駄菓子屋さん(いまどき珍しい)に寄り、ふたりとも不慣れな感じで歩き始めた。ピルグリムはたいてい、最初は不慣れな感じで始まる。誰もやったことないから。

 

ノーサイドという言葉を覚える

歩き始めてすぐ、岡本くんが近くに早稲田大学のラグビーの練習場があるらしいというので、行ってみることにした。岡本くんはラグビー経験者で、お祖父ちゃんもお父さんもラグビー選手&指導者というラグビー一家だ。

練習場はすぐ見つかった。しかも試合をしている。金網越しに覗き込むと、どうやら中学生同士の試合のようだった。父兄がたくさん見守る中で、今まさに試合が終わり、礼を交わしていた。岡本くんが、ラグビーで試合が終わることを「ノーサイド」というのだと教えてくれた。敵味方がなくなり、仲間に戻る。シンプルで強い言葉だと思った。

 

小学生のまちの歩き方

住宅街を歩いて石神井公園へ向かう。途中、「練馬区」という道路標識を過ぎた。岡本くんが子供の頃、友達としていたまちあるきの遊びについて教えてくれた。じゃんけんをして、勝ったほうが、道をどちらに曲がるか決められる、という遊び。なんだ今やってることとほとんど同じじゃないか。岡本くんをピルグリムに誘ったのは正解だった、と思った。

私も小学生の頃「たんけい(探偵+探検の造語)」という遊びをしていた。友達とふたりで知らないまちへ行って、即興で「関所だから通行証を出さないと」とか「あの猫はスパイだから気をつけて」とか(思いつきで)演じながら、地図を描きながら自分のまちまで帰ってくる。10歳くらいからやっていることが変わっていない。

 

公園という日常

石神井公園は、大きな池を中心にした気持ちのいい公園だった。思ったより民家が近く、このあたりに住んでる人は公園が縁先というか、日常と地続きなんだなあと思った。それってどんな気分だろう。とても居心地いい場所だけど、自分にはそういう暮らしは向かない気がした。

池にはボートが浮かんでいて、干潟のようなところは午後だというのにまだ薄氷が張っていた。子どもたちの真似をしてバリバリ踏んだら楽しかった。

公園の中にある売店で、岡本くんは「たこ焼きやきそば」を、私はあんまんを買って食べた。コーヒーをごちそうになった。会社が休みの日に、こんなわけのわからないまちあるきに付き合ってくれている上に、ジェントルマンだ。どうして岡本くんはそんなに優しいの? と聞いたら、お母さんが優しいからと言っていた。いい答えだ。

 

ライオンズマンション地下のハッピーアワー

石神井公園駅を目指して歩いていくと、道の細い商店街に入っていった。昔からあるお菓子屋さんには古いブラウン管テレビがあったりして、地に足の着いた感じ。道幅ギリギリにバスがすり抜けていく。昔からの道がそのまま残っているのだろう。

しばらく駅の周りをぐるっと歩くと、下の階が商業施設になっているライオンズマンションがあった。マンションの一階にコンビニが入っているというレベルではなく、地下には飲み屋街のようなものが広がっている。

面白そうなので降りていくと、串焼き屋が16時ちょうど開店するところで、ハッピーアワー目当てのお客さんたちが列をつくっていた。私たちも便乗して店に入り、串焼きとビールで少し早い乾杯をした。

 

杉並区→練馬区→中野区

いっぱい引っかけて外に出ると、さすがに暗くはなっていたが、それでもまだ18時。早い。そしてまだ手紙を書いていない。手紙を書く場所を探して、夜の街をひたすら歩いた。もうルートをよく覚えていないのだけど、富士見ヶ丘駅を経由して最終的には下井草駅まで行った。途中、中野区という標識を見た。今日一日で、杉並区・練馬区・中野区を行ったり来たりしたことになる。

歩きながら、岡本くんが子供の頃ボーイスカウトを(かなり本格的に)していたことを聞いた。そのプログラムの中に、一晩かけて子どもたちだけで目的地にたどり着くまちあるきがあったという。途中、電信柱などにヒントだか指示書のようなものがあって、それを探して歩くらしい。

夜明けに全員が集まると、それぞれが持ち寄った味もメーカーも違うインスタントラーメンをひとつの鍋で煮込んで分け合って食べるのが、ものすごく美味しかったという話が、ぐっときた。今度「東京ステイ」でも、オーバーナイト・ピルグリムをやろうと盛り上がった。とりあえずラーメンは、すぐにでもやろうと思った。

 

手紙がJ-popみたいになってしまう罠

最後はもう歩き疲れて、とにかく座って手紙の書けるところはないか、もう焼き鳥屋でもいい、みたいになっていたとき、建物の二階にある落ち着いた喫茶店を見つけた。

バラの花が飾られていて、静かで、空いていた。ケーキを食べて、手紙を書いた。岡本くんは、かつて東京に住んでいたという、亡くなったお祖父ちゃんへの手紙。私は、長く付き合いのある身近な人への手紙。疲れ果てていたせいか手紙がエモくなりすぎてしまい、歌詞みたいだといわれて恥ずかしかった。

どこかの駅前で、「ノーサイド」というレンタルビデオ屋さんを見かけた。こういうとき、偶然の符合に引っかけて、何か言いたくなったりするけど、何も思い浮かばなかった。だけど今日、岡本くんと歩かなければ、ラグビーの試合を眺めることも、こんな看板に気を留めることもなく、通り過ぎていただろう。目の前にある風景にそれ以上の物語を付け加えるのは、余計な気がした。