場所と物語

浮間舟渡と荒川キッズ/石神夏希

2018年2月4日。2日間にわたる「ピルグリム―道連れ」の実験、二日目。前日に他のチームが訪れた場所を、NPOメンバー同士で二人組になり再訪する、ということをやってみた。私は小田雄太くんと組み、北区・板橋区にまたがる浮間舟渡を訪れた。

 

浮間舟渡ってどこだ

「浮間舟渡」という地名を初めて聞いた。たぶん私が知らないだけなんだと思う(いや、ちょっとマイナーかな)。「東京ステイ」を始めて気がついたけれど、私は「あのまち、面白そうだから行ってみたい」と思うことがあまりない。

目の前にある物事に集中しがちで、それ以外は存在を忘れてしまう、という性格のせいかもしれない。そんなわけなので、このプロジェクトをやらなかったら、おそらく東京をこんなに歩くことも、同じ「東京」の中にこんなに多様なまちがあることも気づかず「東京を食わず嫌いしている人」のままだっただろう。

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先に到着していた小田くんと合流し、駅前のお弁当屋さんでお弁当を買って、すぐ目の前の浮間公園に入った。ここは荒川と隅田川に挟まれていて、敷地の半分近くが、もともと荒川の一部だった浮間ヶ池で占められているという。

湖畔(?)には風車が建っている。なぜここでオランダ風なのかは、わからない。水鳥や鴨や鳩がたくさんいて、おじいさんが撒くパンくずに群がり、争っていた。おじいさんはどうやら、鳥たちをわざと争わせているようなふしがあった。

中国人らしき観光客が、餌でおびき寄せた鳩を手のひらに載せて写真を撮っていた。たしか鳩はいろいろ病原菌を持っていると聞いたことがあるが、病気とか大丈夫なのだろうか。ちょっと心配になった。

 

荒川土手を歩く

小田くんと、東京ステイとは関係ない話をしながら早足で公園を抜け、荒川の土手に出た。くもりだが、日差しは明るい。春が近いことを感じた。

ここは埼玉県と東京都の境界線。まちにはいろいろな種類の「境目(裂け目)」がある。居住エリアと商業エリアとか、住宅街でも住んでいる人たちや建物が切り替わるとか。その中でも県境・市境のような行政区の境目って、なんでここで区切ったのか意味がわからない場所が多い気がする。痕跡が残っていないということなのだろうか。文章の切れ目でもないのに無作為に打たれた句読点みたいで、逆に、詩的なものを感じてしまう。

 

スケーボーパークのキッズたち

小田くんが「この近くにスケボーパークがあるから行ってみよう」と提案してくれた。『TRINITY』は、たぶん大きな倉庫だった建物で、もともとはスケボーグッズのショップを経営されていた方が、店ごと移転して始めたパークだという。この日はキッズ向けの練習時間だったようで、小学生たちが滑ったり飛んだりしていた。かっこいい。

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都心ではこれだけ大きなスケボーパークを維持することは難しいだろう。ゆとりある周縁部で地道に環境を整え、自分の暮らしの一部として、時間をかけてカルチャーを育てる人たちがいる。子どもたちがスイミングスクールや習字に通うように、スケボーパークに通う。そういう場所のあることが、豊かだと思う。

ショップのお姉さんと少し話し、自分にはあまり馴染みのないグッズを手にとったりしていたら、小田くんに「石神さん、スケボーやれば?」と唐突に、かつ熱心に提案された。小田くんは、たいてい私よりも俯瞰的な視点から物事を見ていて「よくそんなことがわかるな」と感心することが多い。が、どうやってもスケボーをしている自分が想像できなかった。でも小田くんがいうんだから、きっとやった方がいいんだろう。

 

旅は道連れ

スケボーパークを出てからは、なんとなく水の流れを追って行き当たりばったりに歩いた。道中、今年どんな仕事をしようと思っているとか、引越したいと思っている話などをした。

前日のまよこさんとのピルグリムでは、ほぼ初対面のような仲だったから知りたいことがたくさんあったし、ずっと相手に集中していた。

対して今日のピルグリムは「脱力系」で、相手がNPOメンバーの小田くんだからあまり気も使わず、なかば独り言のようなとりとめのないお喋りをしていても許される空気があった。まるで自問自答。

「道連れ」の選び方も、一緒に歩く歩き方も、もちろんいろいろあっていい。だけど一体どういう人とどんなふうに歩いたら面白いのか、もう少し知見がたまったら言葉にしていきたいと思う。

 

高度経済成長期につくられた「ゆりかごから墓場まで」

あてもなく広い道路を歩いていくと、まるで流通センター街のようなおもむきの住宅街に入った。大きく切り分けられた区画に箱のような、マッシブなマンションが立ち並び、道幅は広い。一階の店舗や、2階建て以下の民家などは見当たらず、人があまり歩いていない。ふしぎな光景だった。

小田くんが「東京時層地図」(明治時代までさかのぼって時系列で地図が見られる便利なアプリ)で確認すると、もともとこのあたりは一面が田畑で、高度経済成長期に鉄道の駅ができたことで、一気に宅地開発された土地だとわかった。

パーキングビルが併設された巨大な建物群が現れたのでショッピングセンターかと思ったら、病院だったり、ごみ焼却工場だったりした。地図で見ると高度経済成長期にいっぺんに造られた保育園、学校、公園、葬儀場など人の暮らしに必要な施設が、そのまま今でも同じ場所にあるようだった。

「ゆりかごから墓場まで」という言葉が浮かんだ。誰もが生まれ、育ち、老いて、焼かれるのだが、こうして露骨にサービスとして並べられると、当然ながら「自分の生をそんなベルトコンベアみたいなものに載せられて、しかも終点まで見せられたくない」と感じてしまう。なんていうか、興醒めだ。

ごみ焼却工場には、ゴミを燃やして出た熱を再利用した温水プールと熱帯植物園が併設されていた。人工の熱帯雨林の中には小さいながら南国の田舎にあるような東屋も設えられていて、友人の多いフィリピンの風景を思い出して嬉しくなった。

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植物園内にあるカフェで、手紙を書いた。小田くんは、別のNPOメンバーへ宛てて、さっと一筆書きのようなさりげない手紙を書いていた。はじめの頃は手紙を書くのにいちいち苦労していたが、最近、書き上げるスピードが上がってきた気がする。いつか慣れすぎて、別の方法を考えないといけなくなるのだろうか。

私は、6月に結婚する妹への手紙を書いた。私と妹は年子で、子供の頃から比べられることも多く、自然とキャラクターの棲み分けをしながら育った。キャラクターが違うなら仲良くできそうなものだが、どちらかといえば衝突することの方が多かった。大人になってからは、実家では会うがお互いの住所を知らない程度の、付かず離れずの距離を保ってきた。

ピルグリムの手紙は、私に限らず、家族に宛てて書く人が多い。

この日は、別のNPOメンバーたちも同時多発でピルグリムを行っていて、都内各所を歩いた後、全員が谷中で集合した。手紙を回し読みし、その日の体験を共有する。この日、初めて「十牛図」を使って振り返りをしてみたが、なかなかいい感じだった。

NPOメンバーの岩岡くんと、谷中「のんびりや」のわんこ

何の話の流れだったかタトゥーの話になって、小田くんが「アトラスを彫りたいと思っている」と言ったのが印象的だった。アトラスはギリシア神話に登場する神で、戦いに負けたか何かの罰で、肩に地球を背負っている。それが重くて辛くてしょうがないので、別の人に肩代わりさせようと画策したりするのだが、相手に見破られて逃げられてしまい、結局、重たい地球を背負いっぱなしらしい。

自分にそのイメージを重ねて、アトラスを彫りたいという小田くんが、とてもふしぎに思えた。人はずいぶん違うモチベーションで生きている。でもたしかに、ちょっとだけ小田くんぽいような気もする。そして今日、撮った写真を見返したら、アトラスみたいな小田くんが写っていた。

車両用の橋と歩行用の橋が二重になっている狭間で。