場所と物語

六郷土手・河原町団地・越境/石神夏希

2017年2月8日。年末からこのところ、かなりの頻度でピルグリムをしている。この日は、NPO場所と物語が著者として制作するブックレットの制作のため、編集チームみんなでピルグリムを体験してみよう、という企画だった。

いつもの「道連れ」のような二人組ではなく、編集チーム全員で歩いた。編集の安藤嵩史さん、イラストレーターの寺本愛さん。そしてNPOメンバーでアートディレクションを担当する小田雄太くん、事務局長の河野慎平さん。

待ち合わせをしたのは京急線の「六郷土手」。小田くんの出身地でもある川崎へ向かって、東京から川を越えて歩く。小田くんの発案だったが彼自身は仕事の事情で遅刻したため、残りの4名で出発した。

六郷土手の駅を出てすぐ、多摩川の河川敷にぶつかった。以前にも書いた通り、私にとって多摩川は二〜三年ほど毎日眺めて暮らした川だ。当時暮らしていたマンションが多摩川沿いで、ベランダに出るまでもなくダイニングから川が眺められた。今でも、横須賀線で(私は最寄りが鎌倉駅なので)多摩川を越えるときには、自分が暮らしていたマンションを目で追ってしまう。

多摩川の河川敷にはよく、集まって麻雀をやっている人たちがいた。ここは私が住んでいたところからは離れているけど、やっぱり麻雀をやっているおじさんたちがいた。その少し先には、いわゆる「ゼロ円ハウス」というか、掘っ建て小屋が川岸ギリギリに建っていた。多摩川はよく増水して河原が冠水するので、そんなときには困るだろうけど、木立に囲まれていてプライバシーも保たれていそうだし、ぬかるんだ地面にはベニヤ板で専用の遊歩道も造られていた。

そんな風景を眺めながら橋を渡り、川崎市に入った。越境。

このあたりには旧東海道が走っているらしい。マンションの、かつての時代を感じるタイポグラフィや物件名、高架下にひそむ目付きの悪い猫(猫ではなくエサ箱が鎖でつながれていた)を横目に見ながら、小田くんに「できたら行ってみて」といわれた河原町団地を目指した。

河原町団地の建物群は、SFっぽいというのか、空中都市っぽいというのか、ふしぎな造形をしている。そして団地自体は広大で、中には商店も保育園も複数あり「街」のような様相を呈していた。この団地で生まれ育つ子供時代というものを想像しかけて、イメージが空中分解した。もちろん実際にそれはあるわけで、だけどこうした環境に慣れていない自分には、現実味のない光景だった。

自転車置き場のある共用スペースが大聖堂みたいだった。コンクリートの冷え切った物陰で、高校生たちが百人一首をやっていたので思わず「何をしてるんですか?部活ですか?」と声をかけたところ、部活ではないという。百人一首が好きな高校生たちが自主的に集まって遊んでいるのだった。たしかに、『ちはやふる』とか流行ったしな。でも、何もそんな寒いところでやらなくても。それともこの団地で育った彼らにとっては、そこが定位置で、「自分たちの場所」なのだろうか。秘密基地みたいな。

団地を抜けて道路に出たとき、やっと現実に戻ってきた、というような感じがした。重ね重ね失礼かもしれないけれど、景色が色を取り戻したというか。だけど勿論これもひとつの「日常」であって、自分の想像力が追いついていないだけなのだ。

その後も、2リットルパックの日本酒や焼酎の瓶が売られている型破りな自動販売機や、店主のおばあさんの手書きのフォントが主張するお豆腐屋さんなどに立ち寄りながら、メガドンキまでたどり着き、バスで川崎駅へ戻った。

チネチッタで小田くんと合流し、彼が思春期を過ごしたライブハウス「クラブチッタ」を眺めて、九龍城を模したゲームセンター「ウェアハウス」にも立ち寄った。カジノマシーンの光の洪水は純粋にきれいだったが、自分はゲームをやらないので、あまり心が動く瞬間はなかった。ここで、みんなで本を交換した。私は安東さんが持ってきた『まぐろ土佐船』というノンフィクションを借りた。私が持ってきた『クリスマスキャロル』は寺本さんが持っていった。

すっかり暗くなっていたが、ドヤ街で知られる日進町を歩いた。小田くんが十代の頃から比べるとずいぶん治安がよくなっているようだったが、いわゆるチョンの間というのか、連れ込み宿だった建物が旅館やスナックになっていたり、ソープも多かった。

だいぶ冷えてきたのでヴェローチェに入り、手紙を書いた。私は、自分にとって今「道連れ」だと感じる人に向けて書いた。これまでのピルグリムで一番、正直な手紙が書けたと思う。指令にあった、今いる居場所のスケッチも描いて同封した。

最後は繁華街で「中国と北朝鮮の国境付近の郷土料理」を食べさせるニッチな朝鮮料理屋に入った。いつものように手紙を回し読みし、最近始めたばかりの試みとして、十牛図にたとえて今日の体験をひとりひとり振り返った。十牛図が振り返りのツールとして使えるというのは仮説だったけど、どうやら機能することがわかって、よかった。

その後もつれづれに語り合っているうちに、小田くんから「石神さんはもっとポップになったほうがいい」というダメ出しがあった。具体的にはスケボーをやったり、(うる星やつらの)ラムちゃんのタトゥーを入れるとよい、ということだった。今後、検討していきたい。

「スローモーションで歩く」という指令をやり損ねていたので、店からの帰り道、みんなで川崎駅に向かってスローモーションで歩いた。私は友達は多くなくてもいいけど、こういう仲間は一生大事にしていきたい、と思った。