場所と物語

東京ステイ合宿レポート《後編》弱さと「巻き込まれ力」/石神夏希

2017年10月28(土)-29(日)、東京都・檜原村で行ったNPO場所と物語の合宿レポートです。前編はこちらから。

 

前編のあらすじ

秋も深まる10月の暮れ、しとしと雨降る山奥のキャンプ場。東京を巡礼するようにさまよう「ピルグリム」を行いながら、東京の西の秘境・檜原村を目指したNPO場所と物語のメンバーたち。ところが想定外の事態(と経験不足)で宿なしになってしまった。

 

それぞれの巡礼道

その頃、他メンバーたちはどのようにして檜原村に向かっていたのか。

前編でも書いた通り、今回のピルグリムでは「最低でも6時間前に出発する」ことがルール。「今日一緒に来たかった誰か」に向かって手紙を書き上げるべく、それぞれのメンバーが「書き場所」(死に場所、のイントネーションで)を探して、都内各地でさまよう様子がInstagramでアップされていく。

さまよい方はさまざま。自分のかつて住んでいた場所を文字通り「巡礼」するように再訪しながら向かう人。手紙に綴る言葉を探すように丁寧に寄り道をしながら向かう人。

実家で車を借りるついでに、家族の顔を見てくる人。子どもの保育園の運動会に参加してから、車を飛ばしてくる人。福岡で友人の結婚式に出席して、飛行機で東京を目指す人。

目的地を最短距離で目指すルートとは別のベクトルを持つことで、本来なら通らない道を通ったり、降りない駅で降りたり、立ち止まらないところに立ち止まる。

そして「今日、一緒に来たかった誰か」つまり「今ここにいない誰か」に向けて、手紙を書く。体が向かう方向と、心は別の方角を指す。過去や未来をさまよう意識が、日常的な景色を少し違ったものに見せる。

それでも集合時間の1〜2時間前ともなると、てんでバラバラだったメンバーたちのInstagramにも似たような景色が増えてきた。道路は広く、緑は深く、携帯電話の電波はつながりにくく。

 

喫茶店で一夜の宿を借りる

ちょうど私たち事務局メンバーがバンガローへの宿泊を諦めた頃、アーツカウンシル東京の森さん、大内さん、嘉原さんたちはすでに現地に到着していて、鬼切バス停近くの喫茶店で待っている、と連絡が入った。川原をあとに傘もささず、ヨレヨレと元来た道を戻った。

川沿いに建つ古民家を改修した喫茶店は、最近オープンしたばかりで、地域の人が店番をしているという。掘りごたつで温かい紅茶をいただいたら、少し気持ちが落ち着いた。でも、のんびりもしていられない。iPhoneで近隣のホテルの空室を調べていると、店番のお母さんが何気なくこう言った。

「ここも泊まれるわよ」
「えっ?」
「二階に泊まっていってくれてもいいわよ。お布団もあるし、足りない分は五日市の布団屋さんに頼んだら持ってきてくれるから」

案内された二階には、4人分のお布団があった。教えてもらった電話番号に連絡すると、全員分のレンタル布団も確保できることがわかった。お母さんが一階の薪ストーブに火を入れると、部屋の中は半袖でいられるくらい暖かくなった。窓の外で降り続く冷たい雨が嘘みたいに。

なんだこれは。最高じゃないか。

 

最高の東京ステイ

店番のお母さんは、台所も食器も好きに使っていい、と言い置いて、私たちに鍵を預けて帰っていった。数時間前に初めて会ったというのに。

車で10分ほど離れた温泉に入って戻ってくると、キャンセルできなかったバーベキューの食材を使って、NPO経理の下田くんが、まるで小料理屋みたいな素敵なごはんを作ってくれていた。メンバーの小松さんがこまめに薪をくべてくれるので、ストーブには常にカンカンと赤い火が燃えている。ひとつ屋根の下に気のおけない仲間たちだけ、美味しいものを食べておしゃべりする。

おおげさでなく、「檜原村で最高のステイ(滞在)体験なんじゃないか」と思った。

 

「弱さ」と「巻き込まれ力」

私たちは、ここに泊めてもらうのに、お願いも交渉もしていない。準備不足は褒められたことではないが、もしもホテルや旅館のような「安全パイ」が確保されていて、参加者も集合時間に全員集まっていたら、こんな偶然は起こらなかったはずだ。途方に暮れてオロオロすることもなかっただろうし、そんな様子を見かねて親切なお母さんが声をかけることもなかっただろう。

開き直っているわけではない。でも「準備」は、想定外の事態が起こる可能性をできるだけ排除する行為だ。準備が完璧であればあるほど「偶然」は起きにくくなる。しっかり準備ができているとき、人は誰かに“頼る”必要もなければ、“助けられる”必要もない。忘れ物をしなければ、「消しゴム貸して」と隣の席の子に勇気を出して話しかけなくてもいい。

でも知らないことに飛び込んだり、新しいことにチャレンジしたりするときには、人はどうしても「頼りない」状態になる。そんな「弱さ」が周囲の人たちから自発的な「かかわり」を引き出すことがある。そんな事態が起こったとき、ことに日本の都市生活に慣れきった私などは、「弱さ」を目の前に「かかわり」という手を差し伸べる機会が、どんどん少なくなっていることを思い出す。

ちょっと小難しく書いてしまったけど、こういう「かかわり」を引き出す「頼りなさ」のことを、私たちは「巻き込まれ力」と呼ぶことにした。そしてこのパッシブな力を、これからのピルグリムで大いに鍛えたいね、と語り合ったのだった。

 

お互いの書いた手紙を交換する

この夜は、三々五々集まってくるメンバーたちと、手紙を交換して読み合った。そして、どこでどんなふうにさまよいながら、檜原村までやってきたか、どんな気持ちで、誰に向かって手紙を書いたのか。それぞれが遠慮がちに、でもびっくりするくらい正直に語り合った。

実際にやってみるまでは、「手紙を書きながら目的地を目指す」という行為が、どんな感覚を引き起こすのか、予想できなかった。でもどうやらメンバーたちはみんな、この方法が気に入ったようだ。

頭も体も強制的に立ち止まる(ステイする)ことで、普段は聞き流していた微かな音が聞こえてきたこと。

自分の内側を見つめるまなざしが、ふしぎと目の前の景色の輪郭をくっきりと、鮮やかにしてくれたこと。

この「ピルグリム」という歩き方に、どんな意味があるのか、私たちもまだわからない。意味なんてない、ことにこそ意味があるのかもしれない。
とにかく、もうしばらくはこの実験を続けてみるつもりだ。なぜって、どういうわけか知らないけど、こんなに楽しい偶然が次々と起きてしまったんだから。その仕組みを、もう少し解き明かしてみたい。