場所と物語

[東京ステイ日記] 上海の路上で出会った仙人:前編

6月の上海は夏が始まったばかり、という陽射し。道端の紫陽花が茶色く乾いていた。車通りの激しい道沿いを歩くと少し喉が痛くなったけれど、大気汚染も聞いていたほどひどくはない。夕暮れにはレンガ色の街並みを涼しい風が吹き抜け、ふと足を止めたくなるくらい気持ちよかった。

2018年6月10日〜15日の6日間、上海に滞在した。演劇作家/批評家の藤原ちからさんの紹介で、「新天地フェスティバル」(表演芸術新天地 Xintiandi Festival)という演劇祭の視察と、劇場の外での演劇活動についてシンポジウムでお話する機会をいただいたのだ。

(撮影:後井隆伸)

上海行きを企画してくれたのは、国際交流基金・北京事務所の後井隆伸さん。プレゼンターは先に登場した藤原さん、ダンサー/芸術家の住吉山実里さん、PARADISE AIR居間 theaterでコーディネーターをつとめる宮武亜季さん、私の計4名。後井さんが奔走してくれたおかげで、新天地フェス以外にも対談やトークイベントなど計3回ほど話をする機会に恵まれた。

 

デベロッパー主催の演劇祭

「新天地」という街区は、香港資本のデベロッパーが開発した商業エリア。六本木ヒルズとか表参道ヒルズみたいな雰囲気の街区で、外国人も多かった。今回の演劇祭はこのデベロッパー主催だという。

特設テント、野外の特設ステージ、歴史的建造物を活用した文化施設など、どの会場も徒歩3分圏内くらいの距離なので、私たちのような外国からの来訪者もすぐ地図なしで巡れるようになる。

立ち並ぶレストランのテラス席は、昼夜問わず多国籍の華やかなお客さんでいっぱいだった。きっと普段どおり遊びに来ている人たちも多いのだろうと思っていたら、今回の演劇祭効果で、いつもより人が多かったらしい(中国の演劇批評家談)。夜には街路の中を巨大な光る馬が練り歩く野外パフォーマンスもあって、スマホを掲げる人だかりが出来ていた。

トークには作家、プロデューサー、キュレーター、批評家といった人たちが来て、いろいろな質問をしてくれた。素直に「前のめり」という態度が嬉しかった。劇場の外で行われる演劇について、関心が高いことを感じた。

なかでも印象的だったことがふたつある。それぞれ劇場の「内」と「外」の話。

 

劇場の内と外

あるトークセッションの後、観客から「劇場の外でコミュニティを巻き込むパフォーマンスは(中国以外の世界各地で)トレンドだと思うが、今後ますます増えていくのでしょうか?」といった質問を受けた。

(撮影:後井隆伸)

そのとき答えたのは「トレンドは振り子みたいなもの。今起こっていることは、劇場の中での舞台と観客席の関係性が消費的になりすぎたことの反動だと思う。これはトレンドかもしれないが、また反対側に振れたりもしながら、あいだのちょうどいい関係性が見えてくるのではないか」ということだった。

でもその後、新天地フェスのディレクター・袁鴻(ユェン ホン)さんの「今の劇場は傲慢だ。開演前も観客は劇場の外で待たなければならなかったり、終演後はすぐに出なければならない。劇場はもっとお客様第一でなければならない」という発言を聞いて初めて、ここでは「劇場」といえば(お上であるところの)国立劇場のことで、とても官僚的・高圧的らしい、と呑み込めた。

情けないが、私のように目の前のことにいつも追われている人間は、その場に行って相手と話してみないと想像力が発動しない。

(撮影:後井隆伸)

国立劇場(の劇団に)雇われている演劇人も多い。実際にこの日の対談相手も国立劇場につとめる若い演出家で、本業の傍らスポンサーを見つけて、実験的な公演を打っているという。

ただし「劇団を擁する公立劇場があり、他方にインディペンデントな劇場や劇団があり」という状況は、中国ならではではなくて、どちらかといえば、劇団をもつ公立劇場がほとんどない日本が「例外」なのではないかと思う。

 

(撮影:Jacney Chan)

 

公共空間という「制度の余白」

もうひとつは「外」の話。中国にはよく知られる通り、検閲というものが存在している。演劇の公演は事前に申請をして、脚本なども提出してチェックを受ける。場合によってはタイトルや内容変更を余儀なくされるというのは、よくいわれる話だ。

後編へ続く

 

written by 石神夏希