場所と物語

ひっそりと、姿を潜ませて/林千晶

▲亀甲山古墳

東横線の多摩川駅から目と鼻の先に、亀甲山古墳(かめのこやま)は突然、現れる。日本が誇る前方後円墳だ。作られたのは4世紀後半で、日本がまだ倭国と呼ばれていた時代のこと。

この時代は、ミステリーに包まれている。中国の歴史書にでてくるだけで、国内には頼れる文献も少ない。でも日本神話マニアの安藤くんによると、この時代こそ日本という国の原形が造られたのだという。まだ全国統一はされておらず、各地域に有力な支配者が生まれ、少しずつ国を統治する仕組みをつくった。彼らを「くにのみやつこ(国造)」と呼ぶ。

当時の関東近辺を支配していたのは、使主(おみ)、小杵(おぎ)、小熊(おぐま)の3勢力。性格陰険な小杵が小熊とグルになって、使主を倒そうとするけれど、それに気づいた使主は、素早く都にいる朝廷に助けを求め、無事、武蔵の支配者「武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)」になる。

この言い伝えが「武蔵国造の乱」なのだが、私としては、1700年の時を経てなお「険しく、傲慢、性格陰険」と語り継がれる小杵氏は、どれほどの意地悪さだったのかと、古墳展示室の解説を読みながら想像が膨らんでしまう。

▲多摩川台公園の古墳展示室

いまでは想像もつかないほど、生活も社会も環境も変わったはずなのに、いく層もの歴史を積層させながら、古墳は「こんもりした丘」を装いながら、身近なところにひっそり佇んでいる。その数、東京だけで700基以上だというから驚きだ。改めて、1700年という時の流れに思いを馳せる。なるほど、他人を思いやれない私たちの中には、小杵の意地の悪さが潜んでいるのかもしれない。

▲多摩川流域には、丘のふりをした古墳がたくさん。ここも、古墳の跡。