場所と物語

多摩川の古墳から、日本の成り立ちと神を感じてみる/安藤大海

今回初参加のピルグリム。

「東京で日本神話を感じるところ、日本の成り立ちを感じるところ」というお題をもらったが、実は自分としては難しいテーマだった。

しかしよく考えてみると、多摩川と荒川にはさまれた武蔵野台地には古代から人々が生活を営み、遺跡がたくさんある。古墳もある。

そうだ、古墳!

古墳は、3世紀半ばから7世紀末、日本という国がスタートアップをしていた時代に各地で作られた。

日本の成り立ちを知る手がかりとなるモニュメントといえる。

では、東京の古墳のどこにするか?

さらに歴史を見直すと、興味深い事件があった。

 

武蔵国造の乱

「武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)の乱」。

史実ではないという説もあるが、6世紀、関東を収めていた豪族による内輪争いがあったそうだ。

(国造は、現在の県知事のような役職・称号で、多くは土着の有力者がそれを担っていた。戦国時代の大名にも似ている。)

笠原直小杵(かさはらのあたい おき)という人物が国造の地位をめぐり、同族の使主(おみ)の暗殺を図るが失敗。

使主(おみ)は逃げ出し、大王に助けを求める。

ヤマト王権は使主を国造として認め、小杵を誅殺。

使主(おみ)はその後、横渟(よこぬ)・橘花(たちばな)・多氷(おほひ)・倉樔(くらす)の4つの領地を献上したという。

 

多摩川の古墳から、日本の成り立ちを感じてみる

そのやられた側・小杵(おき)なる人物が、現在の東京を拠点としていたという説がある。

多摩川下流に集中している多摩川台古墳群・荏原台古墳群には、小杵(おき)と同族の者が眠っているのかもしれない。

前振りが長くなってしまったが、そのような経緯から多摩川で古墳めぐりをしようと思いたった。

 

古代からの一等地・多摩川下流域

12時に東横・目黒線の多摩川駅に集合。

駅前なのにロータリーといえるものはない。

ぎりぎり二車線の道の向こう側に、上り坂。

駅をおりて目の前が台地というのも、なんだか土地の圧迫感があった。

斜面を登ると公園にはいり、右手に異様な土の盛り上がりがある。

右に進むと柵で覆われた茂みがあり、案内板があった。

後円部の一部が浄水場として削られているのが残念だが、状態は良好で、前方後円墳の形をはっきりと見て取れた。

園内には展示室(無料)があり、亀甲山古墳が築造された当時の姿や、多摩川台古墳群・荏原台古墳群で出土した埴輪、埴輪から再現した当時の人々の姿を見ることができる。

古墳の所在をランプで示したジオラマがあったが、特に川岸に近い台地の上は、まるで天の川のようだった。

多摩川下流域は、古代からの一等地だったようだ。

そういえば「武蔵国造の乱」は、「関東の豪族・小杵(おき)が、中央に歯向かった」という風にも受け取ることができる。

そう解釈すると、平安時代末期の平将門の乱や、鎌倉、江戸幕府といい、関東は古代から中央に対する対抗心をメラメラと燃やし、それが脈々と受け継いでいるように見えて面白い。

多摩川下流に連なる古墳も、その土地の有力者の権威を示すだけでなく、「中央に負けない!」という強い意志さえ感じた。

多摩川台の古墳のあとに鮎の形をした人形焼を購入。

 

古墳に見出す「神」

神社が古墳の上に立っていることも少なくないが、「富士塚」という特定の用途・目的があって信仰の対象になったものもある。

江戸時代、富士信仰(浅間信仰)が流行する。

それにもとづき、「富士塚」という、富士山を模した人工的な山や塚がたくさん作られた。

古墳もその形状を活かされ、リノベーションされることもあった。

多摩川駅前にある多摩川浅間神社もその一つ。

前方後円墳が立派な富士塚になっていて、頂上に社殿が建てられている。

頂上には見晴らし台があり、多摩川東岸を一望できる。

映画「シン・ゴジラ」では、ここに自衛隊は指揮所を置き、ゴジラを多摩川で迎撃するタバ作戦が実行された。

指揮官になったつもりでメンバー3人でポーズをとって遊んだり。

節分だったからか、境内では雅楽が流れ、人も多く賑やかだった。

タクシーを拾い、尾山台の尾山台宇佐神社へ。

ここも神社の裏に、八幡塚古墳という5世紀頃の円墳が控えている。

由緒では、平安時代後期、源義家による創建らしい。

隣に、五重塔を持つ立派なお堂があったので寄ってみた。

伝乗寺というお寺で、あとで調べてみると、江戸時代以前に尾山台宇佐神社を管理していた。

たしかに寺紋(お寺の家紋)が、源氏の家紋とよく似た形をしているのが気になっていたので納得。

ネットで調べると、地蔵菩薩立像が美しいらしい次行くときは見てみたい。

ピルグリムを終えて

メンバーみんながこの古墳ピルグリムと、日本の成り立ちや、何気ない場所から興味深い伝承や地域の歴史を見つける楽しさを共有できてよかった。

が、思っていたより歩いたので疲れた

次回は、8世紀以降、東京の県庁所在地に相当する場所だった府中を散策してみたい。