場所と物語

平和島/吉里裕也

平和島。昔はボートレースのイメージだったけど、最近は出張で羽田空港に行く途中、車で湾岸高速に乗る途中、自転車で三浦半島まで行く途中。わりとの頻度で通り過ぎる、日常の中の空白地帯。

 

その空白を埋めたくて、歩いてみたけど、結果、空白はやっぱり空白だった。

歩いても変わらない景色、空に目を向けさせる飛行機と広い空。立ち入ることが制限されている、木の生い茂る広大な公園や駐車場。ほどんど人がいない道。

一見殺伐とした風景なのだけど、意外にこの空気感が心地が良いと気づいたりした。

最近の東京では感じることのできない、ヴォイドな時間を感じることができたからかもしれない。

たまに来て、空と道とその余白を感じながら淡々と歩きに来ても良い場所だと思った。

一転、BIGFUN平和島には、色んな欲望が集約されていて、ちょっと目眩がした。

ギャンブルとかは皆で盛り上がれれば良い程度で、特に好きでもないんだけど、たまにあーいった場所に行くと皆の欲望と言うか念というかがあの場所の空中に溜まっている感じは嫌いではない。昔訪れたインドのカルカッタ駅でも同じような感覚に囚われたのを思い出した。その駅舎の空間に足を踏み入れた瞬間、そのエネルギーに頭が眩む感じ。

そーいえばこの感覚は、発展?している都市でも、そんなエネルギーをその場所全体が発している。去年行ったプノンペンやヤンゴンやジャカルタ、アジア諸国からはそんなエネルギーをもらうが、最近、僕らの暮らしている周りでは、この種のエネルギーを感じる場所は少ない。そんななかギャンブルの場はいつの時代もその熱気を保っているのかもしれない。一時的な幻想かもしれないけれど。

今回は、対極的な2つの場所を掘り下げたのだけど、まだ足りない。

このギャップをつなぐ何かを見つけていきたい。